《Purification》は、富士登山・富士山信仰をテーマとした映像インスタレーション作品である。鑑賞者は360度の全天球映像を、自身が見たい方向へと操作しながら鑑賞する仕様となっている。
  かつて、富士山は神聖なる霊山として恐れられていた。今こそ誰でも登れる観光地となっているが、150年前までは女性が登山する事は許されなかった。当時の女性は罪汚れの存在とされ、神域である富士へ足を踏み入れる事は禁じられていたためである。
しかし、そのような状況でも富士山頂まで登った女性がいた。その女性の名は「高山たつ」といい、富士講という富士山信仰の信者であった。そして天保3年9月26日、彼女は師匠や仲間等と共に登山を決行した。女性は真に罪汚れの存在であるか否やを、登山を通して富士山の神様に問うたのである。その高山たつ氏の一連のエピソードからは、男女不平等という当時の社会情勢も見て取れるが、根底には、今では忘れ去られたかつての信仰・神秘、尊厳な富士山観が存在している。
  かねてより、「高山たつ」と「富士山信仰」についてリサーチしていた作者は、2021年9月6日、実際に富士登山を行う。実際に登る事で、対象への理解を深める事を試みた。その際、肩に全天球カメラを装着し登山過程を記録。映像には作者自身の姿も映り、作中では登山中の険しい表情や息切れの音など、過酷な状況での作者のありのままの姿が垣間見れる。 初めは余裕しゃくしゃくと登る作者であったが、途中から仲間との距離が開けてくる。仲間は先へと進み、その差は大きくなるが、進んだ先で作者が来るのを必ず待っていた。次第に天候が悪くなり、雨風の音が強まる。足をかけ登るるたびに吐く息の音も、より一層強くなる。ついには感情的になり、泣きながら「寒いよ」と訴え続ける。
  本作は、そういった登山行程における作者の心境を主軸に、高山たつ氏のエピソードを織り交ぜながら展開されていく。作者と共に登山しているかのような感覚へ近づきながら、一筋縄ではいかない自然の業や、信仰の対象としての富士の姿を再発見するだろう。

《Purification》9'55

2022年2月11-13日、 MEDIA PRACTICE 21-22 東京藝術大学大学院映像研究科 元町中華街校舎 にて展示。

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